第12章 私たちの心はどのようにして混沌から秩序を調合するのか
私たちは身体的な違いを頭の中で誇張する傾向がある
本当は曖昧(グラデーション)なものでも違いを見出してしまう?
分けるときに視覚的な身体的な違いに引っ張られがちという話か(遺伝学上の類似性とか見た目ではわからんもんな)
人種など現在の区別とこれまでの区別ではかなり異なるというのは忘れちゃいけないなーと思った なんとなくこれを思い出した
過去一万二〇〇〇年のあいだ、社会とは何であるかというルールのなかに、まずは近くに暮らす狩猟採集民の社会という均質的な人々からなる限定された集団が含められ、後には今日、人種ととらえられているような集団が入れられた。
1万年と2千年前から愛しているううううう(突然のアクエリオン
懐かしいw
二つの人種の中間に見えるような顔を作り上げ、髪型を一方の人種に典型的なものにしたところ、その人物は、髪型と結びついた人種のカテゴリーに入れられた
へぇぇ、なんと髪型に引っ張られたのか
というより、肌の色という大きな括りで区別ができなければ、髪型、とか他の場所を参考にしてどれか一つのカテゴリに押し込むということかな
目の錯覚、なるほど
彼女(レイチェルドレザル)は、あたかも要件である「黒人の血」の一滴が入っているかのように、髪の毛のスタイルや質感に特別に気を配り、肌を褐色に焼いていた。
へえええ、そんな人がいたのか。
口伝えの言葉でさえ、人にしるしをつけることができる。
なるほどレッテル貼り。
わかりやすいカテゴリつけられると押し込められるからなぁ。
目に見えるしるし以外で、例えば匂いや音(話し方)などはどれくらいアイデンティティの形成に寄与するのか気になる
メタルギアソリッドの最後の作品で言葉によってアイデンティティ云々の話があった気がする